仏陀の教え-仏陀最後の旅-入滅を決意

入滅を決意

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入滅を決意


それから、ヴェーサーリーの近くのベールヴァ村におもむかれたが、その時インド特有の雨季が到来していた。

そこで、雨安居(雨季三ヵ月の定住)をなすべく、比丘たちをヴェーサーリーの周辺に分散させ、仏陀(ブッダ)はおそらくアーナンダ一人をともなって、ベールヴァ村で雨安居に入られましました。

修業僧達は、ヴェーサリーの近くの知人、友人、親友を頼ってそれぞれ雨安居に入りましました。

仏陀もまたべールヴァ村において雨安居に入るが、そのとき大きな苦痛をともなう病気が仏陀を襲いました。

仏陀は苦痛を耐え忍びながら、弟子達や修業僧達に別れを告げることなくこのまま死ぬ(ニルヴァーナに入る)わけにはいかないと強く決意しましました。

病が回復したとき、若い弟子アーナンダは、仏陀の重病を前に自分が呆然自失していたこと、弟子達、修業僧達に別れのことばがないまま仏陀がニルバーナに入ることなど決してないと思っていると告白しましました。

仏陀はアーナンダに次のように説きましました。

「如来の法には、教師の[秘密の]にぎりこぶしはない」「如来は<私は比丘サンガを導くであろう>あるいは<比丘サンガは私に頼っている>と思うことはない」「この世で、自己を洲(または燈明)とし、自己を依り所として、他を依り所とせず、法を洲(または燈明)とし、法を依り所として、他を依り所とせずして住せよ」という有名なことばが含まれています。

仏陀は、「自分は、弟子達、修業僧達、その他内外の人々に隔てなくすべての理法を説いました。
弟子に隠していることなどなにもない。

自分はもう老い朽ち、齢をかさねて老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達しましました。
齢80です。
だから、もう自分をたよりとするな。
この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
そのためには、自分の身体、感受、心、諸々の事象についてよく観察し、熱心に、よく気をつけて、念じて、貪欲と憂いを除くべきです。

今も、自分の死後も、誰でも学ぼうとするものはそのようであれ。」


仏陀はアーナンダを呼んで次のように言います。

「ヴェーサリーは楽しい。
いろいろな霊樹の地は楽しい。」

修業を完成した人(如来)は、四つの大きな霊力を修したので、もし望むなら寿命のある限りこの世にとどまるであろうし、あるいはそれよりも長くとどまることもできるだろう。
若い弟子アーナンダは、仏陀がこのようにほのめかしたのに、その意味を洞察することができず、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかったのです。

仏陀はおなじことを三度アーナンダに告げるが、アーナンダは三度とも、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかったのです。

チャーパーラ霊樹の下で休息をとられた時、アーナンダに対して、如来は四神足を得ており、欲するままに一劫あるいは一劫以上の間、寿命を延ばすことができると言われたが、アーナンダは悪魔によって心を覆われていたため、仏陀(ブッダ)にそのように寿命を延ばしていただきたいとお願いしなかったのです。


悪魔が仏陀に近づき囁きかけます。

「尊師よ、今やニルヴァーナに入る時です。
あなたの弟子達、修業僧達は今や、よく身をととのえ、法をたもち、法に従って行い、正しく実践し、解脱し、説明し、知らしめ、異論が起こってもよく解き伏せ、教えを反駁できないものとしています。
だから、今やニルヴァーナに入ってもよい時です。」


そこで、仏陀(ブッダ)は悪魔のすすめをいれて、ついにこれより三ヵ月後に入滅するであろうと決意されます。

この箇所は、どの諸本にも詳しく述べられており、『大般涅槃経』の大きなやま場となっています。


仏陀は霊樹の下で念じて、寿命の素因(いのちのもと、仏陀はすでにニルヴァーナに達しているが、過去の業の余力があり、それがこの世での生命を保つ素因となっている)を捨て去りましました。

その時大地震が起こり、雷鳴が轟き、人々は恐怖しましました。

若い弟子アーナンダが、このような大地震が起こり、雷鳴が轟き、人々が恐怖する原因は何なのかを仏陀に尋ねたとき、仏陀は次のように答えましました。


大きな地震が現れるには、八つの原因、八つの条件があります。

■この大地は水の上に安立し、水は風の上に安立し、風は虚空の上に存在するので、大きな風が吹くとき、水が動揺し、その水が大地を動揺させる。

■神通力があり、他人の心を支配する力のある修業者(沙門(しゃもん):バラモン教以外の修業者、哲人)、またはバラモン(婆羅門:バラモン教の司祭者、インドの最高位カースト)、あるいは、神通力・大いなる偉力のある神霊がいて、地の想いを僅かに修し、水の想いを限りなく修したとき、このような大地震が起こる。

■ボーディサッタ(「悟り」を開く前の仏陀)がトッシタ(都卒天:天上にあるすばらしいところ)の身体から没して母胎に入るとき、このような大地震が起こる。

■ボーディサッタが(母、マーヤーの)母胎から外に出るとき、このような大地震が起こる。

■修業を完成した人(如来、仏陀)が無上の完全な「悟り」を得たとき、このような大地震が起こる。

■修業を完成した人(如来、仏陀)が無上の法輪を回転するとき(説法を行い、教えを広める)、このような大地震が起こる。

■修業を完成した人(如来、仏陀)が寿命の素因を捨て去ったとき、このような大地震が起こる。

■修業を完成した人(如来、仏陀)が完全なニルヴァーナに入るとき、このような大地震が起こる。


さらに仏陀はつづけて、八つの集、八つの(「悟り」の)境地、八つの解脱について教えを説いたあと、以前の悪魔との対話の内容を話し、三ヶ月後にニルヴァーナに入ることをアーナンダに告げましました。

アーナンダは、はじめて事態を理解し、「尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください」と懇請しましました。

仏陀(ブッダ)は、修業完成者に懇請してはならないと答えましました。
アーナンダが三度おなじ懇請をしたとき、仏陀はつぎのように答えましました。


「アーナンンダよ、かつて私はラージャガハ(王舎城)においても、ギッジャクータ山(霊鷲山)(霊鷲山)においても、ヴェーサリーにおいても、「修業を完成した人(如来)は、四つの大きな霊力を修したので、もし望むなら寿命のある限りこの世にとどまるであろうし、あるいはそれよりも長くとどまることもできるだろう」とほのめかしたではないか。

そのとき、お前はその意味が洞察できなくて、「尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください」と懇請しなかったではないか。

もしお前が懇請していたなら、二度目までは退けたかもしれないが、三度懇請されたなら承認したであろう。

これは、お前の罪です。

お前の過失です。

しかし、アーナンダよ、私はこのようにも言ったではないか。
「愛しく、気にいっているすべての人々とも、やがては生別し、死別し、(死後には生存の場所を)異にするに至る」と。

生じ、存在し、つくられ、壊滅する性質のものが、「壊滅しないように」ということがこの世でどうして有り得ようか。


入滅を決意された仏陀(ブッダ)は、ヴェーサーリー付近にいるすべての比丘たちを郊外のマハーヴァナ(大林)の重閣講堂に集め、かれらに対して三十七道品の説法をされるとともに、改めて三ヵ月後に入滅することを予告されます。

仏陀は修業僧達を講堂に集めさせ、四つの念ずることがら(四念処)、四つの努力(四正勤)、四つの不思議な霊力(四神足)、五つの勢力(五根)、五つの力(五力)、七つの覚りのことがら(七覚支)、八つのすぐれた道(八正道)を説きます。

■四正勤(ししょうごん)

「悟り」を得るための実践修業法の一つ
□すでに生じた悪を除こうと勉めること
□悪を生じないように勉めること
□善を生じるように勉めること
□すでに生じた善を増すように勉めること

■四神足

「悟り」を得るための実践修業法の一つ
□すぐれた瞑想を得ようと願うこと
□すぐれた瞑想を得ようと努力すること
□心をおさめてすぐれた瞑想を得ようとすること
□智慧をもって思惟観察し、すぐれた瞑想を得ること

■五根

解脱に至るための五つの力、能力
□信(信仰)
□精進(努力)
□念(憶念)
□定(禅定)
□慧(智慧)


これらを説いたあと、仏陀は言います。


わが齢は熟しましました。

わが余命はいくばくもない。

汝等を捨てて、わたしは行くであろう。

わたしは自己に帰依することをなしとげた。

汝等修業僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。

その思いををよく定め統一して、おのが心をしっかりまもれ。

この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻をすてて、苦しみを終滅するであろう。


そして、この地をあとにされるが、仏陀(ブッダ)はヴェーサーリーを象が眺めるように全身で振り返って眺め、「アーナンダよ、これが如来の最後のヴェーサーリーの眺めとなろう」と言われましました。





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